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2012年2月14日 (火)

天守物語 再びの、、、

シネマ歌舞伎「天守物語」を幾たび観たでしょう。観るたびに新たな気づきと新たな学びが私を待ち受けていました。

海老蔵丈の図書之助は玉三郎丈の富姫が千歳百歳心に描き思い焦がれた愛しい男の具現を見たように感じています。

あの図書之助は富姫の心の具現ではないかと、、、妖しの幻の男ではないかと、、、そんな思いに到らせるほどに美しく妖しく清廉!!!

玉三郎丈の富姫の根底に深い哀しみが棲んでいる。それが何故なのか?あの獅子頭の前で息絶えた女性(にょしょう)の思いが富姫に潜んでいるのか?

それとも玉三郎丈の深さゆえの心なのか?

富姫は男と女を超えて孤高の心を描いていると、、、研ぎ澄まされた潔い心を、、、人の真の在り様を具現化した姿であると感じています。

舞台は既に終わり、映像でしか観ることが出来ない。にも拘らず、観る度に変化し新たな心が生まれ、新たな思いに到らされる。

そこに生きている!!!妖しく美しくこの世の者ではない程の美しさが変化し続けて息づいている。

修練を積み命を削るように思いを乗せて行くと到達しうる世界なのか?

この作品に手を染めることは、、、でも舞いたい!!!どこまで行っても葛藤の最中、、、

図書之助を生身の人間として登場させずに創ることが、、、今そんな思いでもいます。

この図書之助以外に図書之助は存在し得ない!!!

富姫も然り、、、然りです。当然そうなんです。

ならば幻としての図書之助ならば、、、対峙しない一人立ちならば、、、

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