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2006年7月31日 (月)

舞は一幕の芝居

「舞は一幕の芝居」私は、舞をこう認識しています。舞と舞踊は基本的に其の根底に流れる精神が異なると思っています。舞は「心・魂・精神」を色濃く表現するものと思います。「舞」は世阿弥の言う「目を前に 心を後ろに置け」「離見の見」等の教えのように、ある意味「花伝書」と「葉隠れ」がその精神の根幹の部分で、その有様が等しくあると、私は感じています。「扇は懐剣である」とかつての流儀では教えられました。それは、心を託すに値するほどの重みがあると言う事です。扇は単に表現の一部ではなく、心の具現化には必須のものであると思います。「心を託す」「魂を具現する」それは、そこに舞われる「女」であり「男」であり、又何かの「化身」を演じる時、扇は如何様にも表現が変化して行きます。「舞」は独り芝居であればあるほどに扇の意味は重みを深さを持ちます。「舞」は「心を舞う」ということです。そこに居る女・男・化身の魂を肉体を通して表現します。五体全てを使い、心を伝えてゆくのです。そこで大きな意味を持つのが「目」「眼光」と思っています。「眼」の動き一つ「眼」の煌き一つで心の変化まで変わって行きます。ほんの少しの動きの変化で伝えようとする心、表現したい魂が変わって行きます。いつも思います。繊細に心を見つめ見極めて行かないと、其の心の変化が全て「眼」に現れてくると。又、自らの「眼光」をしっかり見極めてゆかないと表現したい心のうちが、正確に伝えることが出来ないと。だからこそ常に心をやわらかく清新でいたいと思っています。「一陣の砂塵の無い心」「透明な美しい心」でいられたらと思っています。

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